サニーデイ・サービスと、若い頃に書いた青臭い曲いつまで真顔で歌えるのか問題

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歳をとって失うものと、経験の中で得ていくものについて考えています。というもの、サニーデイ・サービスの2017年のライブ動画をみて、ボーカル曽我部恵一の前頭部に本来あったはずの頭髪と、清潔感と、繊細なプレイが失われて、なんかよく動くおじさんがそこに残っていた。

(PV)サニーデイ・サービス – 青春狂走曲

1995年の原曲

DAX × lute:サニーデイ・サービス「青春狂走曲」

けだるくシャイなナンバーが、汗まみれのおっさんのPOWERPOPになってるやん。

若い頃に書いた青臭い曲いつまで真顔で歌えるのか問題っていうのは確かにあって、そのジレンマに苦しめられているミュージシャンは相当数いると思います。タモリがいいともで4ヶ国語麻雀のネタやってくれたんか?ってやらなかったでしょ、ブラタモリだとやってくれるかもしれないな。

アジアンカンフージェネレーションがインターネットのオタクからいまだに「消してェ〜〜〜リライトッッセ〜〜〜〜www」ってイジられてもいやそれ15年前の曲なんで…って空気になるじゃないですか。何故それが言えるかというと、アジアンカンフージェネレーションは15年の間にアルバム8倍シングル23枚出してその間に技術、ソングライティング、バンドの活動領域をアップデートし続けたからですね。

過去に書いた自分の曲というのは、ある種クリアしたゲームのリプレイみたいなものじゃないかという仮説を立てまして。若い頃に書いた小っ恥ずかしくなるような歌詞が、どうして小っ恥ずかしくなるのかというと、その当時の自分の若さと無知さ視野の狭さからくる稚拙さと対面するからで。むかしの自分の足りなかったもの、今では失ってしまったものと向き合う行為は、とてもしんどいですが、過去との差分から自分の現在地を確かめるためには必要なイニシエーションかもしれないですね。

そしてソングライティングという芸術行為は、その構造的特権として「曲を書く」とき「曲を演奏する」ときの二度、創作の機会が与えられています。老成と経験を経て手に入れた新しい感性を以って再構築できるわけですね。

たとえば前述のサニーデイ・サービスに話を戻すと、ブリッジにこんな一節があります(動画だと1:50地点)。

君に会ったらどんな風に話をしよう

そんなこと考えるとたのしくなるんです

原曲ver.だと「君」は小学生100人が答えても“““女”””と代入されるのが歌謡曲界鉄の掟ですが、40代のベテランシンガーが「君に会ったら」と仮定の話をしだすと「君」の部分に代入されうる人物は、シンガーの人生経験の厚みのぶんだけ候補が増えていってしまう。同バンドは今年の7月にドラムの丸山さんが亡くなっています。

歌う人の人生のステージよって、聴く人の人生によって歌詞中の「君」「あなた」「彼女」「あの子」に様々なシチュエーションが代入されて表情を変える、というのが普遍的に聴き継がれる歌謡曲の特権なのかもしれません。そう思うと歳をとることはそんなに悪いことではないと思えてきますね。心にシワがね、増えちゃうらしい。なんか当たり前のこと書いてごめんね。

Sunny Day Service – セツナ【Official Video】

加齢臭に効くボディソープらしいです。